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船唐津免

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船唐津免

船唐津免(ふなとうづめん)は、長崎県松浦市鷹島町の字。旧石器時代の遺跡や神功皇后の伝説が残る。遣唐使の交流拠点であり、元寇の時には重要な役割を果たしました。近世には小田一族が漁師として定住し、商業発展に貢献。近代には日露戦争の影響を受け、船便不足による不振も経験した。金比羅神社や古代墳墓など文化的名所も存在する。

船唐津の全景
船唐津の全景

地図で見る船唐津

歴史

旧石器時代

開田遺跡

開田遺跡は後期旧石器時代の遺跡。所在地は、船唐津免字開田765・766番地。当遺跡は船唐津部落の裏山、小高い丘の頂上付近で複数の石器が確認された。尚、現在周辺は畑地となっている。確認された石器のうち、ナイフ型はほぼ中型に分類される大きさで、ナイフ型の他に台形石器・石鏃・滑石製石製品が発見された。滑石製石製品は乳白色の滑石を素材とした垂飾品で、他の石器の素材はいずれも腰岳産黒曜石だった¹。

古代

鷹島町には神功皇后に関する伝説が多く残っており、荒天に遭遇した神功皇后の兵団一部が船唐津に漂着したと云われている²。

遣唐使と船唐津

894年(寛平6年)までの約250年続いた遣唐使であるが、約20回の計画のうち15回の渡航に成功していた。その長い歴史のうち、前半は主に博多-壱岐-対馬-朝鮮半島西岸の航路が採用されていた。しかし、朝鮮方面との国交が険悪になった後は、伊万里から出港して鷹島「唐の津(からのつ)」(現:船唐津)で風待ちをした後、平戸-五島を経て東シナ海を横断して長安に向かったとされている。また、中国から入国する船は「唐の津」で停泊し検問を受けていたとも伝えられている。そのため、当時の「唐の津」は文化の交流・国内外の貴人の往来が盛んだったと云う²。

中世

1274年(文永11年)10月3日に高麗の合浦を出港した元軍は、対馬・壱岐を順調に攻略した後、同月17日に鷹島に侵攻。不幸にも松浦党水軍総帥で鷹島の領主だった松浦答は、侵攻時、博多防衛のため留守にしていた。そのため、突如押し寄せた4万余りの元軍に為す術なく、鷹島で生き残ったのは2名のみだったと云う。また、元軍が鷹島を制圧を終えた明くる早朝、鶏の鳴き声を聞いた元軍は、船唐津の開田(ひらきだ)付近山中の住家を発見し、住人8人のうち7人を虐殺。どうにか老婆1人が灰溜に息を潜め生き延びたと云う。以来、開田の人々は鶏を飼わなくなった³。

開田の七人塚開田の七人塚
開田の七人塚開田の七人塚

現在、同地には石碑「開田の七人塚」が建立されている。ちなみに1953年(昭和28年)の水害により裏山が崩れて七人塚は埋没。1975年(昭和50年)に出版した『鷹島町郷土誌』の編纂時点は埋まったままであった⁴’⁵。

近世

小田一族の移住

1570年頃(元亀年間)に龍造寺氏に滅された肥前国小田(杵島郡須古郷)の城主小田氏正の子孫は、流浪の末に鷹島原村に居住。地方20石取りで平戸藩主に仕えていたものの、一門に多くの浪人が出たため、武士を捨て漁師になることを決意し藩主に願い出た。許可を受けた小田一族は、原村をあとにして船唐津の開発に着手。以来、1699年(元禄12年)まで船唐津浦には織田一族の六家のみだったという⁶。尚、中世の元寇以降の約350年余り、船唐津はほとんど無人状態だったとされている⁷。 武士から漁師となった小田一族の漁法は、付近の漁民とは、網を引く掛け声が違ったという。この掛け声は「オエンシ組」と呼ばる。大正末期まで継承された正月の乗り初めでは下記のような掛け声だった⁸。

今日は日も良し天気も良し、福が浦から恵比寿が浦まで、廻ろうでは御座らぬか、それもよかろうぞ、オエンシ、オエンシ

佐世保・北松・平戸方面の大略測量を終え鷹島に入っていた伊能忠敬の隊が、1813年(文化10年)2月25日、殿ノ浦-二島-俵石-飛島-船唐津を測量⁹。

1715年(享保2年)4月、阿翁黒島間の垣瀬付近に唐船が侵入しているのが発見された。また、1718年(享保5年)2月にも唐船が発見されており、当時は厳しい鎖国の時代であったため、漂着理由の如何を問わず両者とも焼き払われた。これらの事件の功として恩賞金を受けた船唐津では、これを基金として1725年(享保10年)に大歳神社が建立された¹⁰。

1699年(元禄12年)秋、船唐津を含む氏子一同により、三里免今宮神社に鷹島で最初の石造大鳥居が奉建された。当時の藩主雄香が御社参と聞き、氏子一同が随分張り切ったという¹¹。

近世において鷹島は6ヵ村で構成されており、船唐津は三里村に属していた¹²。

近代

近代において鷹島町は船便に乏しかったため商業は不振であった。ただ、日露戦争時に飲食店が日比に2軒、船唐津に1軒あったという¹³。

1904年(明治37年)10月、日露戦争にて船唐津免の小田郡太郎が殉死¹⁴。1916年(大正5年)秋、郡太郎を含めた殉国者慰霊のため、当時の在郷軍人会が神崎免西方の高地に招魂所を建立。境内には靖国神社の分霊を祀った石祠や記念碑、小碑が設置され、周囲には桜が植樹された。大東亜戦争終戦後には軍国主義的施設の撤去命令により取り払われたものの、講和条約発動後に招魂所再建の機運が高まり、1954年(昭和29年)に護国神社と改称され神殿及び大鳥居が再建された¹⁵。

1894年(明治27年)4月1日に開設された鷹島簡易小学校三里分教場であるが、創立当時は元船唐津小田家の酒蔵が利用された¹⁶。

殿之浦丸遭難者供養塔
殿之浦丸遭難者供養塔

大東亜戦争真っ只中の1943年(昭和18年)4月9日、応召兵士と見送りの親族118名を載せた殿浦丸が遭難。村長山崎房吉を含む105名が死亡し、かろうじて13名が生き残った。床浪港(三里免)を経て双島西方を航行中、激流に飲み込まれた殿浦丸が転覆し、多くの命を奪う惨事となった。この事件による遭難者は船唐津免の住人が最も多く、その数は28名に上った。尚、1973年(昭和48年)4月9日、遭難者105名の冥福を祈り、殿の浦丸供養塔が建立された¹⁷。

地内の郵便ポスト
地内の郵便ポスト

鷹島町において郵便ポストが設置されたのは1894年(明治27年)の阿翁浦免が最も古く、船唐津では1910年(明治43年)9月7日に設けられた。尚、これは鷹島町では殿浦に次ぐ3番目の設置であった¹⁸。

現代

松浦市消防団第23分団車庫
松浦市消防団第23分団車庫

1956年(昭和31年)、船唐津を管轄とする消防団第11分団が発足。三里免の第10分団の発足と同年であった¹⁹。

1960年(昭和35年)9月20日、船唐津簡易水道が起工。翌1961年3月31日に竣工した。事業費は4,028円。給水区域は船唐津一円で、給水人口は233人。宇戸の貯水・表流水が水源²⁰。

昭和38年度から船唐津港では漁港整備計画による工事が進められた²¹。

開田の七人塚
開田の七人塚

2009年(平成21年)9月30日、開田の七人塚が松浦市指定史跡に指定された²²。

交通

県道158号
県道158号

船唐津の属す鷹島は、小さな島のため海陸ともに交通に不便であった。陸路は、1700年(元禄13年)頃に開通した、船唐津から阿翁に至る縦貫道路「往還開道」が昭和初期まで唯一の村道²³。もちろん、車両が導入されるよりずっと昔の道路だったため、車両が通行できない程の狭さで、歩行のみの山道同然だった。そのため、島の対岸に渡航する小汽船・渡海船があった海上交通の方が些か便利ではあった。当時から船唐津・御厨間の渡航船があり、暴風雨時出ない限り交通が途絶えることがなかったと云う²⁴。 2023年(令和5年)7月時点では、鷹島汽船有限会社が運行する「阿翁-御厨航路」で途中船唐津に停まる²⁵。

船唐津のフェリー発着所
船唐津のフェリー発着所

鷹島村営バス

1963年(昭和38年)7月、鷹島村当局が村民の交通の利便を図り、鷹島村営バスを創業。その路線の1つに、営業所(中通免)-船唐津区間の「船唐津線」があった。当路線は、距離が5.8kmと村内で最も長く、運行回数は1日あたり12回、所要時間が15分であった²⁶。 2023年(令和5年)7月時点では、鷹島の路線バスが廃線。完全予約制の鷹島乗合タクシーが島内における交通手段の1つとなっている。船唐津免は、乗合タクシー運行エリアの南部エリアに含まれている²⁷。

人物

小田童祥

小田童祥は、船唐津出身の僧侶。天明の頃(1780年代)、小田家家主嘉右衛門の舎弟童祥は、神童と謳われ、11歳で平戸雄光寺に入り得度。18歳の時には志佐郷観音寺の住職となり、後に雄光寺の住職になりかけたが、若年だったことを理由に藩主から許可がおりず実現には至らなかった。不満の募っていた童祥は、当時藩令により禁止されていた楠木の伐採。これを用いての堂宇改築を図った。当然、童祥は藩から追放され、単身江戸に乗り込んだ。江戸では、仏道に精進する傍ら、精神療法を創案し患者を施療。ただ、渡辺崋山等と交流があるなど勤王の志が厚く、最終的に幕府の禁に触れてしまい府外に亡命した云う²⁸。

吉永 緑

吉永緑は、船唐津免出身の旧鷹島村長。1887年(明治20年)頃、役場の使丁として奉職中、平戸郡役所に使いに行った時に郡職員として採用された。その後、在職中に入隊し、1894年(明治27年)の日清戦争、1904年(明治37年)の日露戦争に参加。尚、戦争が集結するたび郡役所に復員していた。のちに村会議員を2期、助役を歴任し、1923年(大正12年)2月7日に第7代鷹島村長に就任。以来、1930年(昭和5年)の3期目まで村長を務めたが、同年9月13日の在職中に病死。勲七等青色銅葉章及び勲八等瑞宝章を受章している²⁹。

名所・社寺

金比羅神社(金刀比羅様)

金比羅神社(金刀比羅様)
金比羅神社(金刀比羅様)

金比羅神社は、船唐津部落西方の丘上に位置する神社。境内には奉納された塔が数基建てられており、1839年(天保10年)10月10日の施主浦平右衛門ほか数名が刻まれている。その他、1895年(明治28年)千住庄三郎寄進の築地塀がある³⁰。 当神社は漁業・航海の守り神を祀るだけに信仰が厚く、3月10日と9月10日には祭礼が行われていた。また、1839年(天保10年)に船唐津浦平右衛門が讃岐の金刀比羅宮(香川県)に参詣しており、このことからも当部落での信仰の篤さがうかがえる³¹。

古代墳墓

古代墳墓は、金比羅神社東方にある塁石で囲まれた自然石を標塔にした墳墓。『鷹島町郷土誌』ではこの墳墓を、神功皇后の墓といわれているが信憑性低いとし、西松浦郡誌にある土蜘蛛族土奠の墓と推測している。墓上には、花は咲くが実らない桜の巨樹があり、この木を伐ると祟りがあるとの言い伝えがあった。また、漁師の「山あて」として重要な標識として利用されていた³²’³³。

大歳神社

大歳神社
大歳神社

大歳神社は、江戸時代の黒島唐船焼打ち事件の恩賞金を基金として建立された、船唐津の氏神。社殿は5坪。建立以前は、三里免の今宮神社が船唐津の氏神だった³⁴。

東浜

東浜
東浜

東浜は、現在の船唐津港の辺りで、中世の元寇において敵が上陸した地点。弘安の役では、残兵を攻撃した激戦地だった³⁵。

コウジゴモリ

コウジゴモリは、東浜の東方約100mにある台地で、弘安の役の激戦地。当時、東浜に上陸した元軍残敵がコウジゴモリ付近を占領。これに対して日本軍は水陸から挟撃し、ここで激しい戦いが繰り広げられたと云う。尚、現在は耕地となっている³⁵。

首除き

首除き
首除き

首除きは、元軍兵の首を斬首し積み重ねた云われるところ。所在地は船唐津免960。2009年(平成21年)9月30日に松浦市の史跡に指定され、現在は道の辺りに石碑が建てられている。また、石碑の近くを流れる中川では、血に染まった刀が現れたとの伝説も残る³⁵’³⁶’³⁷。

脚注

出典

  1. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.49.p.375-378.
  2. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.54.
  3. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.62.
  4. 松浦市.”開田の七人塚(ひらきだのしちにんづか)”.松浦市.2019-04-01,https://www.city-matsuura.jp/top/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/bunkazaika/5/4/896.html,(参照 2023-12-21).
  5. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.157.
  6. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.76.
  7. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.153.
  8. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.77.
  9. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.30.
  10. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.73.p.81.
  11. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.79.
  12. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.84.
  13. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.100.
  14. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.105.
  15. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.251-252.
  16. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.208.
  17. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.132-133.
  18. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.142.
  19. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.118.
  20. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.145-146.
  21. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.153.
  22. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.60p.62.
  23. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.80.
  24. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.95.
  25. 松浦市.”阿翁、御厨間 航路時刻表・運賃”.松浦市.2022-09-26,https://www.city-matsuura.jp/top/soshikikarasagasu/chiikikeizaikasseika/shokoshinkogakari/2/1014.html,(参照 2023-12-21).
  26. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.129.
  27. 松浦市.”鷹島乗合タクシー”.松浦市.2023-04-19,https://www.city-matsuura.jp/top/soshikikarasagasu/chiikikeizaikasseika/shokoshinkogakari/2/1127.html,(参照 2023-12-21).
  28. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.82.
  29. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.150.
  30. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.154.
  31. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.200.
  32. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.154-155.
  33. 西松浦郡役所.西松浦郡誌.名著出版,1972,p.6.
  34. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.246.p.249.
  35. 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.155.
  36. 長崎県松浦市教育委員会.松浦市の文化財 歴史ガイドブック.松浦市教育委員会文化財課,2018,p.60.
  37. 一般財団法人 まつうら観光物産協会.”鷹島史跡めぐり”.松浦の恋.https://matsuura-guide.com/kanko/rekishi-shiseki/takashima-genkoshi/meguri/,(参照 2023-12-21).

参考文献

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黒島免船唐津免

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1979
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船唐津免

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