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集落データベースとは?遺村プロジェクトマップご利用運営お問い合わせ黒島免
黒島免(くろしまめん)は、長崎県松浦市鷹島町の字。砂管や安山岩質の岩脈が特徴的な、漁業が盛んな地域。縄文時代からの遺跡があり、近世には松浦鎮信が藩主を務めた。金井勇ヱ門などの歴史的人物がいたほか、日露戦争の殉国者を慰霊する碑も建立された。黒島分校や市杵島神社があり、金刀比羅様への信仰が根強い。
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地理
黒島の西南海岸では、砂管(サンドパイプ)が確認されている。砂管とは、太古のエビやカニが掘った穴に流れ込んだ砂が岩石化し、風化により周囲の砂岩が削られてできたもの¹。黒島桟橋の西側海岸では安山岩質の岩脈とされるものが確認されている。岩脈とは、近くの亀裂にそって下からマグマが上昇してきたものを指す²。3〜4月頃、黒島の大敷(定置網)には決まって大鯛の群れが入るのが、当地の特色だという³。
「黒島」は全国的にも多い地名で、長崎県内でも地名は佐世保・大村湾内・五島福江など多く見られる。鹿児島県三島村黒島は、全島が森に覆われ、遠くから見ると黒く見えため「黒島」と称されるといい、鷹島の黒島も同じような由来だと推測されている⁴。
歴史
縄文時代
野月遺跡
野月遺跡は、鷹島免字野月98・99・100に所在する旧石器時代の遺跡。同地ではナイフ形石器・石鏃などが確認されている。石鏃は、腰岳産黒曜石が用いられ、入念な調整剥離で出来上がった大型のもの。西北九州地方の海岸に面した縄文時代中期の遺跡から同様の遺物が発見されていることから、縄文中期の石鏃である可能性も示唆されている。この他、同地と谷を隔てて相対する、字神田の町営住宅付近からもナイフ形石器が出土している⁵。
近世
戦国の騒乱の時代が終結し、江戸幕府による統治が始まった近世。当地方の藩主には松浦鎮信が就いていたが、それでも局所的な争いが起こり、黒島もその舞台となった。慶安年間(1648年〜1651年)、志佐陣内の城主志佐昌兵が、突如として黒島を奇襲攻撃する事件が発生。これに対し、当時の鷹島領主石堂氏は手兵を率いて防戦した。しかし、多勢に無勢で、石堂一族は皆刃に伏し、多くの島民がこれに殉じたという。旧黒島分校裏山には、石堂氏一族の変わった形の墳墓が残る⁶。
佐世保・北松・平戸方面の大略測量を終え伊能忠敬の隊は、1813年(文化10年)2月21日、御厨を出発し、黒島や沖小島を測量し、阿翁に至っている⁷。
近代
1904年(明治37年)、日露戦争にて黒島免の金井田伝作が殉死⁹。1916年(大正5年)秋、金井田伝作を含めた殉国者慰霊のため、当時の在郷軍人会が神崎免西方の高地に招魂所を建立。境内には靖国神社の分霊を祀った石祠や記念碑、小碑が設置され、周囲には桜が植樹された。大東亜戦争終戦後には軍国主義的施設の撤去命令により取り払われたものの、講和条約発動後に招魂所再建の機運が高まり、1954年(昭和29年)に護国神社と改称され神殿及び大鳥居が再建された¹⁰。
鷹島町で郵便ポストが設置されたのは1894年(明治27年)の阿翁浦免が最も古く、黒島では1926年(大正15年)10月21日に設けられた。鷹島町では船唐津に次ぐ4番目の設置だった。ただ、最初の阿翁浦免以降、10年以内には新しいポストが設置されていたものの、黒島に開設されたのは前回から16年後だった。船唐津に設置されたのは1910年(明治43年)9月7日¹¹。
現代
1954年(昭和29年)、黒島免を管轄とする消防団第9分団が発足。第6分団(中通り免)・第7分団(中通り免)・第8分団(殿之浦免)と同年に発足された¹²。
1970年(昭和45年)8月8日、黒島簡易水道が起工。翌1971年2月28日に竣工した。事業費は16,316円。給水区域は黒島一円で、給水人口は292人。堂山の浅井戸が水源。当簡易水道の竣工をもって、全村の水道が完成した¹³。
教育
黒島分校
1905年(明治38年)4月1日、1〜6年まで1学級編成で黒島分教場開設。その後、1941年(昭和16年)に鷹島村国民学校黒島分教場、1947年(昭和22年)に鷹島村立鷹島小学校黒島分校に改称。黒島簡易水道開設以前の1963年(昭和38年)8月には、黒島分校水道が完成。その後も、放送施設・テレビ・塵焼場などが設置されるなど改築が進められた。そして、1965年(昭和40年)7月、新校舎(職員室・3教室)増築が落成し、同年11月には水道工事も完工している。翌1966年(昭和41年)9月、当分校が高度へき地学校としてパン・ミルク給食が開始¹⁴。これは全国国庫補助により無償で提供された¹⁵。
1970年(昭和45年)にも更なる施設の拡充が進み、3月には運動場が拡張、12月23日には新築の鉄筋校舎4教室が落成した¹⁴。
2009年(平成21年)3月31日、松浦市立鷹島小学校黒島分校が閉校。104年の歴史に幕を閉じた¹⁶。
人物
金井勇ヱ門
明和年間(1764-1771)の頃、黒島の物頭役(庄屋)の金井勇ヱ門という無類の酒豪家がいた。酒豪家で奇行をとる人物であったが、中々の徳人で島民から深く敬愛されていたという。勇ヱ門は1767年(明和4年)に没したのだが、戒名として授かったのが「酒翁宗泉居士」で、その酒豪っぷりが窺える。墓塔は自然海蝕岩だった⁸。
前田ユキ
前田ユキは、黒島出身の黒島人形劇(黒島浄瑠璃人形芝居)創始者。1884年(明治17年)5月生まれ。主人が肥後人形の使い手で、さらに天性の器用さと創造力を兼ね備えたユキは、主人と共に独特な黒島人形を発明。その後、大島・生月・五島・壱岐対馬などの離島を巡業。娯楽に乏しい島民達から大変人気であったが、昭和初期に継承者不足により廃業。廃業後、人形は永光寺に寄進された¹⁷。
産業
石工業
鷹島における石工業は、400年の歴史がある云われ、墓塔・鳥居・石地蔵などの彫刻が行われていた。黒島は、阿翁と並び原石産地として古来より知られていた。また、鷹島には運搬専用船として団平船が数隻あり、これで黒島・阿翁の石材が運ばれていた¹⁸。多くの黒島民が墓石材の垂々石(タリタリ)と共に繁栄していったが、垂々石を概ね採り尽くした後は、建設土木様石材の需要が高まった。このように石材の産地として有名だっため、昔は石島とも呼ばれていた¹⁹。
漁業
当地方において、明治初期から後期にかけての漁の許可願いなどは、漁民の総代が部落を代表して行なっていた。1885年(明治18年)頃、鷹島村漁業組合が設けられ、1933年(昭和8年)頃には当組合から阿翁浦が独立し、阿翁浦漁業会が発足。1949年(昭和24年)、漁業共同組合法が制定された時点で、黒島も鷹島村漁業協同組合から分割し、黒島漁業協同組合が発足し、当地方は鷹島・阿翁・黒島の3漁協体制となった。その後、1965年(昭和40年)頃に県の指導により3漁協の合併が推進されたが実現には至らず、『鷹島町郷土誌』編纂時点でも3漁協体制のままだった²⁰。
資金調達が難航し黒島・阿翁浦漁協が共同経営をしていた折、1940年(昭和15年)1月から4月にかけてマグロの大群が押し寄せ、更に鰤などもよく獲れ予想外に繁盛した。それに伴い、大洋漁業などの仲買船の往来も盛んで、浜は大変賑わっていたという²¹。
黒島漁港
黒島漁港は、入江が殆どないため早くから小波止が両側に設置されていた。それでも、干潮時や南風等で繋船が全くできないため、漁業限らず学生利用の通学船の乗降にも影響を及ぼしていた。そのため、昭和43年度から辺地債による外郭防波堤の延長工事が着手された。尚、当工事をもっても港湾は不便であるため、その後の拡張計画が検討された²¹。
名所・神社仏閣
市杵島神社(八大龍王)
市杵島神社は、綿津見命を祭神として祀る神社²²。
文化
金刀比羅様
鷹島では、3月10日と9月10日に各部落の金刀比羅宮で祭礼が行われていた。また金刀比羅様は、漁業・航海の守り神だったため、漁業を行う部落ではとりわけ信仰が篤かった。『鷹島町郷土史』編纂時点でも、黒島における3月10日の当祭礼は黒島最大の行事として、全島民をあげて催されていた²³。
脚注
出典
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.13.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p14.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.188.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.35
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.51p.388.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.75.p.188.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.30.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.82.p.188.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.105.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.251-252.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.142.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.118.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.145-146.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.280-281.
- 一般社団法人全国学校給食推進連合会.”学校給食の歴史”.一般社団法人全国学校給食推進連合会.https://www.zenkyuren.jp/lunch/,(参照 2023-12-21)
- 長崎県.”廃止校及び新設校・休校一覧”.長崎県庁ホームページ..https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjp3dC_rrqAAxVAjFYBHS-8DXAQFnoECAgQAQ&url=https%3A%2F%2Fwww.pref.nagasaki.jp%2Fshared%2Fuploads%2F2020%2F10%2F1602461204.xls&usg=AOvVaw3p0cGZZA2XSRR343V37wVx&opi=89978449,(参照 2023-12-21)
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.106.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.202.p.208.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.187.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.355-356.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.366.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.246.
- 鷹島町郷土誌編さん委員会.鷹島町郷土誌.鷹島町,1975,p.199.
参考文献
タイトル | 著者・編集者・編纂者 | 出版社 | 出版年 | ページ数 | 資料の種別 | URL(国会図書館サーチなど) | 所蔵図書館・利用図書館 | 集落記事 | Tags | 注記 |
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鷹島町郷土誌編さん委員会 | 鷹島町 | 1975 | 533 | 図書 | 黒島免船唐津免 | |||||
長崎県教育委員会 | 長崎県教育委員会 | 1979 | 64 | 図書 | 黒島免船唐津免 | |||||
松浦市教育委員会 | 松浦市教育委員会 | 2013 | 66 | 図書 | 黒島免船唐津免 |