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江川

江川(えがわ)は、福岡県朝倉市の大字。筑後川の支流小石原川上流山間部に位置する。古処山・屏山・馬見山の南麓にあるこの地区は、かつてはブナ、椎、カエデ、カシ類の原生林が広がっていたが、戦時中の木炭増産のために伐採され、現在は主に杉やヒノキの造林地となっている 。江川地区では1968年(昭和43年)から江川ダム建設が開始され、1972年(昭和47)に完成。このダムは、農業用水と都市用水の供給に重要な役割を果たしているが、その建設により江川地区の広範囲が水没し、多くの住民が移転を余儀なくさた 。また、1980年(昭和55年)には小石原川ダムの建設が提案され、その後、長い議論と調査を経て実現に至った。

下河内部落の全景
下河内部落の全景

地図で見る江川

地理

筑後川支流の小石原川上流山間部、古処山・屏山・馬見山の南麓に位置する。戦前は屏山・馬見山の山頂から、山麓の江川部落の中腹にかけて、胸高直経1mを超えるブナ・椎・カエデ・カシ類の巨木が聳え立つ原生林が見られたが、戦時中の木炭増産の名のもとに伐採されたため、現在甘木市域の大半を占める山林のほとんどが杉やヒノキの造林となっており、原生林としての自然林は、古処山頂付近を除いてほとんどなくなってしまった¹’²。

古処山ツゲ原始林 『甘木市史 上巻』では、甘木市の名木として古処山のツゲ原始林が挙げられている。所在地は甘木市大字江川・野鳥と嘉穂町大字千手。樹木の種はオオヒメツゲで、稀にアサマツゲやマルハツゲがある。樹高は最高で10m。樹齢500年以上のものが多数あり、旧藩時代より保護されていた。1927年(昭和2年)4月8日に国天然記念物、1952年(昭和27年)3月29日には国特別天然記念物に指定されている³‘⁴。

人口

江川の人口は以下の通り²’⁵‘⁷。

年代
家数(世帯数)
人口
1820年(文政3年)
142
685
1889年(明治22年)
147
858
1958年(昭和33年)
123
735

歴史

近世

1600年(慶長5年)10月、黒田長政が筑前に転封が命じられ、江川村を含む周辺地域を支配下に置いた。1601年(慶長6年)3月に領内の検地を実施し、さらに翌年の1602年(慶長7年)の7月からは本格的な総検地を行い、同年中に終了した。この検地に基づき、12月には家臣団の知行地の割替えが行われた⁸。

1602年(慶長7年)の検地帳によれば、当時の江川村の村高は173石6斗5升3合で、5石以下の零細な持高の農民が多数を占めていた。尚、同じ夜須郡に属す下渕・菩提寺・草水村には、持高が50石を超える農民が複数人いたものの、江川村の記録では確認できなかった。当村における農民の持高の構成は下記の通り⁹。

持高
屋敷持(人)
無屋敷(人)
20~30石
1
10〜20石
1
5〜10石
4
2
0〜5石
31
12

1623年(元和9年)に黒田長政の三男黒田長興が福岡藩から分知され成立した秋月藩。秋月藩は、同年閏8月23日付の「知行高目録」によると、筑前国夜須郡のうちの江川村を含む29ヵ村、下座郡のうちの17ヵ村、嘉麻郡のうちの9ヵ村の計55ヵ村で構成された。以降、江川村は近代の廃藩置県まで秋月藩の支配下にあった¹⁰。

秋月藩における大庄屋・庄屋 近世において秋月藩は、領内をいくつかの地区に分け、各地区を統括する大庄屋を置いていた。また大庄屋の管轄地区は「組」と称され、大庄屋が住む村の名前が組名に冠されていた。各組は10〜20ヵ村で構成され、年代によってバラツキはあったものの4〜6組があった。1820年(文政3年)時点では、江川村は栗田東組に属していた。一方、各村に置かれる庄屋は、大庄屋の指図を受けて年貢の徴収・夫役の割り当て・宗旨改め等の業務を行なっており、江川村の庄屋として大河内家・江川家が知られている¹¹。

年貢収奪の基礎となる土地は、検地によって出された田畑で、秋月藩ではこれを「本田畠」「古田畠」と呼んでいた。また、検地以降の開発による新しい田畠は「五反開き」「起開き」、用水を引いて畠から田にした土地は「畠倒」と呼んだ。この他の特殊な農地に焼畑を指す「伐畠」があり、文政期(1818年〜1829年)には江川村の山中の約45坪で「伐畠」で耕作が行われた¹²。

江戸時代の間ずっと蔵入地だった江川村の1636年(寛永13年)の免率は、田方が石別4斗3升、畠方が石別3斗2升5合だった。また、年貢は米27石9升4合3勺・大豆37石1斗9升2勺であった。この免相定は、藩主長興が江川村の江川惣左衛門に直接宛てて出されており、初期の蔵入地の免相定は藩主自ら各村に出していたとされている。のちに免相定が郡奉行から出されるようになってから蔵入地の免率は、代官頭と郡奉行(免奉行)が相談して各村の状況に応じて決められた。しかし、1717年(享保2年)以降は定免制が実施されるようになった¹³。

上述の江川惣左衛門は、江川村の庄屋を勤めながら、寛永期には蔵入地の年貢取立代官を兼務していた。現存する江川総左衛門分の寛永2・3・5年(1625年・1626年・1628年)の代官物成算用見聞届けは寛永7年(1630年)8月17日、寛永7〜10年(1630〜1633年)の物成算用は寛永11年(1634年)にまとめて出されている。このことから、当時の年貢収納の決算は毎年ではなく、数年分をまとめて行われてと考えられている¹³。

元禄年間(1688年〜1703年)に書かれた『筑前国続風土記』では秋月の産物として、大煉柿・大栗・椎実・楊枝・茶・黄楊木(つげのき)・薯蕷(長芋)・とろろ・独活・蕨・筍・葛粉・芋・蒟蒻・藤天蓼(またたび)・平蕈(ひらたけ)・椎蕈(しいたけ)・鬠(もとゆい)・鍬の柄・箕・白砂・小鱒・鰷(ちょう)・鰷腸醢(うるか)が挙げられている。ただ、この大部分は江川村などの近くの村で採取されていたもので、城下町秋月の産物は鬠等だった¹⁴。

商業・工業などを営む者に賦課される雑税の一種に「運上」がある。江戸時代後期、茶の生産に賦課される運上の「茶畑運上」が江川・長谷山村のみに課された。これは茶1石につき銀3匁8分1厘を上納するというものだった¹⁵。

近世において、農民は年貢や諸上納を課されるほか、交通や河川道橋等の土木工事の人夫として駆り出される労働課役「夫役」があった。秋月藩の夫役には、石高に応じて賦課される「高役」と人別に賦課される「首役」があった¹⁶。首役は15〜60歳までの男子に賦課されたが、1790年(完成2年)の規定によれば、諸村役人や特定の役職は免除または軽減されていた。更に、村ごとに当該男子の人高の1歩5厘が、乱心者・かたわ者・永病人・当病人・不具合者として免除され、村によってこの軽減率が異なることもあり、江川村では4歩の免除となっていた¹⁷。

1790年(寛政2年)の『寺院人別帳』によると、旧甘木市域には27の寺院があったとし、その1つとして江川の常光寺が挙げらている¹⁸。

1802年(享和2年)、秋月藩は財政の窮乏を打破するためいくつかの政策を実施。そのうちの1つの金山開発は、日向高鍋から人を呼び込み、江川村の大伏山で開発を試みるというものだった¹⁹。

近代

秋月の乱と江川

1876年(明治9年)10月24日、熊本県で神風連の乱が起きた。これに触発された秋月の士族等(宮崎車之助・磯淳・益田静方・今村百八郎など)が蜂起し秋月党を結成し、同月27日朝に出兵を決行。隊長今村百八郎が率いる秋月兵は、甘水の明光寺で警部穂波半太郎を血祭りにあげ勢いを増し、同志杉生十郎等が待つ豊津に向かった。そして29日、一行は豊津に到着。しかし、豊津士族の主権は穏健派が握り、決起しないことが決められ、杉生十郎らは監禁されていた。その後、連絡を受けた小倉の軍隊が豊津に到着し、秋月党と交戦。軍隊の性能の優れた兵器と統制された戦闘動作を前に、秋月党は死者17名・負傷者7名を出し彦山方面に敗退。翌30日には江川谷に入り、午後4時には江川村の栗河内に到着しここの民家に宿泊。翌日は終日軍議に費やしたものの意見がまとまらず、夕方に全員集合させたが、すでに秋月に自首した者もいたため、当初の1/4ほどしか集まらず、最終的に解散し自由行動をとることになった。そして、磯淳・宮崎車之助・土岐清・戸原安浦・戸波半九郎・宮崎哲之助・磯平八の7名が同地で切腹。また、彼らは部下に対する寛大な処置を願う遺書を吉村直晴・江藤良一に残していた²⁰。栗河内には秋月事変七士碑が置かれている²。

行政区画の変遷は以下の通り²¹。

年代
上位行政区
1889年(明治22年)
上秋月村
1954年(昭和29年)
甘木市

1899年(明治32年)から1903年(明治36年)にかけて、江川-甘木線・黒川-比良松線・佐田-甘木線が更正された²²。

朝倉郡の郡費に備えるため、1904年(明治37年)から江川で郡有林が設置されるようになった²³。

現代

江川ダムと水没地区

江川ダム
江川ダム

筑紫川流域の北部に位置する両筑平野は、元来、灌漑用水が乏しく、多くの浅井戸の水を利用して稲作が行われていた。また、福岡市や朝倉市(旧甘木市)は都市用水の水源不足にも悩まされていた。そんな中、1964年(昭和39年)10月16日に水源開発促進法に基づき筑紫川水系が指定されたのを契機に、農林省が両筑平野用水事業を着手。1967年(昭和42年)4月からは水資源開発公団が当事業を承継して、1968年(昭和43年)から江川ダム建設を開始。1972年(昭和47年)7月、集水面積30平方kmの重力式コンクリートダムで、有効貯水量2400万tの多目的ダム「江川ダム」が完成した。両筑平野用水事業は、1975年(昭和50年)3月31日をもって完了し、4月1日から両筑平野用水管理事業が開始された²⁴。 現在、江川ダムは、小石原川・佐田川沿いの朝倉市・小郡市・大刀洗町・筑前町の約4900haの水田や畑の農業用水を確保・補給し、朝倉市の工業用水としても利用されている。さらに、朝倉市だけでなく福岡市をはじめとする福岡都市圏、久留米市などの県南地域、佐賀市などの佐賀東部地域の約310万人に水道用水を供給している²⁵。 江川ダム建設により恩恵を受けた下流の地域がある一方、江川地区の広範囲が水没し、住民は移転を余儀なくされた。江川地区の水没戸数は、尾払17戸・大河内15戸・馬場野20戸・鮎帰高野河内18戸の計70戸で、87世帯404人が各地に分散転居。もちろん水没したのは民家だけでなく、小学校1・神社1・寺院1・公民館2の公共施設と、田畑や山林約84haがその犠牲となった²⁶。 1971年(昭和46年)4月の市による転居者の追跡調査によると、50世帯が市内に、20世帯が市外に転居。尚、14世帯が無回答であった。市内への転居者は、下流の小石原川沿いの地域に2〜3戸または集団を作って住居を構える者が多く、上流から順に上秋月5世帯・秋月6世帯・安川17世帯・甘木17世帯・立石3世帯・馬田1世帯であった。市外に関しては、三輪町10世帯・夜須町2世帯・福岡市4世帯で、他に筑紫野市近郊への移住があった。また、転居先で家を新築したのが53世帯・古屋移転3世帯・子供の家への寄寓4世帯・借家3世帯であった。そのほか移転先での世帯主の職業調査では、専業農家1・農業兼日雇17・給料生活7・無職及び家族の給料7・補償金の利子配当による生活4・商業1・貸家アパート6・日雇2・子供からの扶養3・その他職人1・住み込み手伝いなど5と確認されている²⁷。 江川ダム管理所右岸広場には水没記念碑が建立されている²⁸。

建設の碑
建設の碑

小石原川ダム

小石原川ダム
小石原川ダム

1980年(昭和55年)9月、江川地区2つ目のダム建設について、甘木市町塚本倉人が江川東部区長へ打診。これに対し、稗田・河原瀬・栗河内の住民を集めての約半年に及ぶ協議が行われ後、予備調査を受け入れるか否かの無記名投票が実施された。結果、僅差で受け入れの票が上回り、予備調査が行われることとなった。予備調査は1981年(昭和56年)11月から開始され、1987年(昭和62年)8月にダム建設可能とされた。翌月には小石原川ダム水没者対策協議会が、1989年(平成元年)6月にはこれと別に小石原川ダム水没者対策同盟会も発足。これらは、1995年(平成7年)5月に新たな「小石原川ダム水没者対策協議会」への組織の一本化がなされた²⁹。

水没した稗田地区の望郷之碑
水没した稗田地区の望郷之碑

こうして1980年(昭和55年)の予備調査の着手、1995年(平成7年)に開始された現地調査を経て、2003年(平成15年)4月、福岡県南部への水道水の供給及び洪水被害軽減を目的に、朝倉市江川地区での小石原川ダム事業が着手された³⁰‘³¹。

2009年(平成21年)10月9日、当時の前原国土交通相が同省と水資源機構が事業主体となって進められているダム事業のうち、ダム本体に未着工の事業について、事業を進めない方針を表明。その未着工ダム28箇所のうちの1つに小石原川ダムが挙げられた。これにより小石原川ダム事業は一旦休止され、必要性を再評価された上で、継続するか中断するか判断されるされることになり、その実現が危ぶまれた³²。当時、水没予定地区内では個人の補償に入ろうとしていた時期で、裁定がされるまでの間、地区民は不安にされされていたという⁵³。2012年(平成24年)12月、国土交通省は当ダム建設事業の継続を決定し、どうにか中断の危機を回避するに至った³⁰。

移転世帯は、栗河内9世帯・稗田14世帯・河原瀬6世帯・水浦2世帯で、その他に移転以前から屋敷だけが残っていた世帯が5世帯あり、それらを含めて計36世帯に上った。また、栗河内9世帯のうち8世帯は菩提寺(現:朝倉市)に集団移転を実施。それに伴い、栗河内の観音様・山の神様なども移転し、移転先でも催事を絶やすことなく続けられるようにした³³。

ダム本体の工事は2016年(平成28年)4月に始まり、2021年(令和3年)3月に建設事業が完了。同年10月から本格運用が開始された。同ダムの造りは、堤高139m・堤の長さ550m・総貯水容量4000万立法mで、堤高は九州のダムで最も高い。総事業費は約1960億円。ダム湖の名前は、一般公募により「令和あさくら湖」に決まった³¹。またダムが完成した同月には、左岸の栗河内に記念碑「郷愁之碑」が建立された。福岡県知事小川洋が揮毫した³⁴。

令和あさくら湖と郷愁之碑
令和あさくら湖と郷愁之碑

小石原川ダム建設事業により実施されていた江川-大字小石原間の国道500号付替工事が完成。2021年(令和3年)6月30日12時に開通した。また、同道路の付け替えにより江川ダム面上に江川大橋が架橋された。全長339mで中央径間の支間長は173m。支承を有する連続形式のPC箱桁橋としては日本最大級となっており、令和2年度のプレストレストコンクリート工学会賞の作品賞に入選している³⁵‘³⁶。

江川大橋
江川大橋

2018年(平成30年)2月24日、それまで地図上に名前が記載されていなかった山が、山頂が江川地区にあることなどから「江川岳(えがわだけ)」と命名された。名称は、公募にかけられ後、地元の代表者や各市から推薦された有識者で構成された選考委員会により、応募された候補名をもとに決められた。同年8月7日には標柱が設置され、11日から登頂証明書の発行を開始した。江川岳の標高は861m³⁷。

2022年(令和4年)4月24日、小石原川ダム湖畔にオートバイ専用の公園「交通公園」がオープン。当公園は自動二輪車専用となっており、コースを利用してのバイク操作の練習が可能となっている³⁸。

名所・社寺

仏堂
仏堂

陣屋滝

陣屋滝は、江川に位置する滝で、神功皇后が羽白熊鷲討伐の際に陣を揃えた場所と云われている³⁹。

御手水滝

御手水滝(おちょうずたき)は、陣屋滝の1400m上流に位置する滝。秋月種実が古処の国見岩から豊臣軍の一夜城を見て本物と錯覚して下山。この御手水滝で手水を使って心底まで気を沈め、潔く降伏を決意したとの言い伝えがある。また、陣屋滝で登場した神功皇后が御手水された滝とも云われている⁴⁰’⁴¹。

教育

江川小学校

1877年(明治10年)2月8日、夜須郡江川村常光寺の御堂を仮校舎として江川小学校が開設された。常光寺は当時、彦山道に面した、江川村大河内の隣接部落「井の口」の中心にあった。創始者は上秋月村の白根成軌。その後、1879年(明治12年)7月、18坪の教室・6坪の教員室・2坪の土間からなる校舎が、字島崎に新築された。新築校舎は常光寺から約1.5km上流に設置された。ただ、小石原川に沿って約9kmに及ぶ江川村において、校地の選定は容易ではなかったようで、1879年(明治12年)の投票をもって決められたという。その後、1886年(明治19年)10月に福岡県令第15号により江川小学は簡易科と指定され、1891年(明治24年)に勅令により江川尋常小学校に改められた。1901年(明治34年)4月には島崎校舎が改築され、教室は9坪と15坪の2部屋となった。また同年から、それまでの3ヵ年制から修学4学年制となった⁴²。

1905年(明治38年)7月、暴風雨により甚大な被害を受けた校舎が利用できなくなった。そこで字大河内の江川源四郎所有の倉庫(酒蔵)を借用し、1911年(明治44年)4月まで仮校舎とした。約30坪余りの酒蔵は3部屋に仕切って利用され、仮校舎に続く畑を運動場としたと云う。途中、1908年(明治41年)に義務教育が6ヶ年に延長され、江川校では3学級の複式制が採用された⁴³。

1911年(明治44年)、新校地が馬場野に決まった。また、校舎は安川尋常小学校の旧校舎を殆ど原型どおりに復元し、炊事室・物置・便所を付加建築された。3教室(2階に2教室、1階に1教室)・職員室・玄関・裁縫室などで構成され、総建坪は90坪。運動場は256坪だった。また、10月14日を江川尋常小学校の新築記念日と定められた。1914年(大正3年)5月、創始者白根成軌の功労を讃え、校区内外の浄財をもって、顕彰碑が校庭に建立された。1923年(大正12年)6月、江川公民学校が江川小学校に併置され、分教場が字稗田に設けられた。

1947年(昭和22年)、二階建ての校舎が新築され、材料には高木神社境内の林が用いられた。1952年(昭和27年)3月、秋月中学校江川分校が廃止。1954年(昭和29年)4月、町村合併に伴い甘木市立江川小学校に改称⁴⁴。

年代
児童数
職員数
1953年(昭和29年)
140
8
1963年(昭和39年)
76
7
スクールバス待合所
スクールバス待合所

1961年(昭和36年)頃から甘木市の山間地区は、都市への人口流出による過疎化と少子高齢化が進み、児童数が減少傾向にあった。また、江川ダム建設に伴い江川小学校も水没することもあり、これを契機にと適正規模(12学級〜18学級)の学校建設が目論まれた。そして、1969年(昭和44年)、江川・上秋月・秋月・安川の4校統合が決定し、翌年、江川小学校等が閉校し、統合秋月小学校が発足。1972年(昭和47年)、秋月小学校が長谷山50に新築され移転。以降、江川は秋月小学校の通学区域に属するようになった⁴⁵‘⁴⁶。

1976年(昭和51年)12月には石碑「江川小学校之跡」が国道500号沿いに建立された⁴⁷。

江川小学校跡の石碑
江川小学校跡の石碑

産業

畜産

江川地区は畜産において肥肉牛の成績が優れていた⁴⁸。

文化

山神祭り

山ノ神
山ノ神

江川地区において伝統的に行われている山の神祭りは、"霜月祭り"として知られており、各部落によって若干の相違はあるものの、かつては三日間にわたってほぼ同様の形式で神事が行われていたことが伺える。この祭りの日程は一定しておらず、旧暦の11月に三日間に渡って行われる。第一日目は注連卸しと山の神を迎える儀式が、第二日目は座元での本座として知られる主要な儀式が、そして第三日目は膳ざらいが行われる。霜月祭りは部落(クミ)ごとの祭りであり、本座には各戸の戸主が神家として参加する⁴⁹。

江川地区の山の神祭り、特に第一日目に行われる注連卸しと山の神迎えは、地域によって様々な伝統的な儀式を含んでいる。一般的には、祭りではお潮井の取り方や築の作り方、ムシロの敷き方、注連の掛け替え方、神供の持ち方などが共通して行われる。特に栗河内、稗田、河原瀬では、山の神に詣る際に竹の弓矢を持参し、祠から四方に矢を射る行事がある。これは、東西南北を祓う修験道行事の影響があると考えられる。山の神への供え物には、神酒、粢、塩に加え、高野河内のように畑の大豆を供える地区もある。下戸河内では、上組、中組、下組が山を共有するため、山の神迎えは、一番上り、二番上り、三番上りと順番に行われる。一番上りが注連縄を作り、祠の前のシメカケ台と称す杉の木に設置すし、二番上り・三番上りは神供だけを行う。各組は「山の神上り」と称し、火を焚いて神前で祈り、この席で直会を行う。この儀式は約二時間行われ、一組が終わるごとに太鼓が鳴らされ、次の組が続く。山の神上りが終わると、参加者はそれぞれの家に戻り、夜遅くまで本座が行われる⁵⁰。

第二日目の本座は、神との直会や頭渡しという行事が行われる。各地区に共通する神饌としては、「塩うち豆」や大根の輪切りが挙げられる。これらは、塩うち豆が「座揃い豆」とも呼ばれる一方で、下戸河内では芋の高盛りも加わる。里芋を使った特別な料理は、親芋を直径約8センチメートル、厚さ約2センチメートルの輪切りにして中央に配置し、周囲に子芋を12個(場合によっては13個)置くという形で提供される。直会ではまず神を下ろし、盃が回される。参加者は、「塩うち豆のお銚子お早うございます」「輪切りのお銚子お早うございます」と唱えながら盃を干すのが栗河内の風習である。その後の膳には塩やオバイケが添えられるが、全体的に簡素なものである。座元の決定は「ばかい合い」という形式で行われるのが各地区で共通している。頭渡しには厳格なしきたりがあったが、現在は単純化された盃のやり取りと口上のみが残っている。「江川ダム水没地域民俗資料緊急調査報告書 江川」には栗河内のものだけが記録されており、これによると「総神家中おつきなさいませ。本年度の〇〇〇〇のお祭り、今日今晩までに、御成就、御安堵になりまして、互いにおめでとうございます。そうございますれば、来年度のお祭りは〇〇〇〇さん方にお座を移すことにいたしました。一人もおかげなされませんように、御座におつきなさいますことをお祈りいたします。これより山の神様のお祭り、御神酒お早うございます」と言って神酒を回したという⁵¹。

三日目、膳ざらいは、座元における加勢人たちへの慰労を目的としたものである。この日には、本座に出席できなかった女性も含まれ、酒宴が開かれる。この席の献立では芋の吸物と大根の吸物がつきものだった。『甘木市史』では、江川の山の神祭り全体を見渡すと、神や直会、膳ざらいに至るまで、大根・芋・大豆など畑の産物が用いられることが多く、これは霜月祭りが畑作の収穫に感謝を示す儀礼として行われることを示すと主張している。特に、この地域が古くから焼畑耕作地帯であったことから、山の神祭りが畑作儀礼を反映している可能性が高いとさもいう⁶。

ダブリュー

当地方では、水神まつりのことを「川祭り」または「ダブリュー」という。江川の下戸河内でもダブリューが2・8月に催された。8月のダブリューでは、水落としの頃に組ごとに行われた。藁わんに御供を盛り、竹筒に神酒を入れてナス・芋がら(ずいき)と一緒に笹の先に吊るし、川端に立ててお祓いをする。ナスは、水上様に上げた後でしか食べれない決まりがあったため、1番ナスが供えられた²¹。

脚注

出典

  1. 甘木市史編さん委員会.甘木市史 上巻.甘木市史編さん委員会,1982p.89.
  2. 「角川日本地名大辞典」編纂委員会.角川日本地名大辞典 40 (福岡県).角川書店,1988,p.246.
  3. 甘木市史編さん委員会.甘木市史 上巻.甘木市史編さん委員会,1982p.89.123.
  4. 朝倉市.”古処山ツゲ原始林”.朝倉市ホームページ.2011-03-21,https://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1297666779091/index.html,(参照 2023-12-22).
  5. 甘木市史編さん委員会.甘木市史 上巻.甘木市史編さん委員会,1982p.89.643.
  6. 甘木市史編さん委員会.甘木市史 下巻.甘木市史編さん委員会,1981,p.749-750.
  7. 清水正則.江川の里へのご案内.2021,p.39.
  8. 甘木市史編さん委員会.甘木市史 上巻.甘木市史編さん委員会,1982p.89.508-509.
  9. 甘木市史編さん委員会.甘木市史 上巻.甘木市史編さん委員会,1982p.89.512-514.
  10. 甘木市史編さん委員会.甘木市史 上巻.甘木市史編さん委員会,1982p.89.522.
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  53. 清水正則.江川の里へのご案内.2021,p.66.

参考文献

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江川:福岡県甘木市江川地区民俗資料緊急調査報告書

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「角川日本地名大辞典」編纂委員会

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